『林檎園日記』劇評集

山本健一

久保栄と広渡常敏。照れ屋の広渡さんのことだから「久保栄と同じ板の上に立つなんてとんでもない」と、あわてて手をふるだろう。しかし、私には演劇人として重なる部分があるように思えて仕方がない。その志、孤立感、時流に流されない持続である。
　久保栄は狷介孤高と言われる。広渡常敏は頑固だが、狷介ではない。しかし演劇界あるいは演劇マーケットの中では孤立している。劇団を結成して５０年もたつというのに権威化せず、いい歳をして若者と共にめげず臆せず、異議申し立てをしている。しかも病と格闘しながら、演劇への精神はますますラジカルになっている。孤高と言っていいだろう。
　広渡常敏と東京演劇アンサンブルは、この２年間に２本の久保戯曲を上演した。創立５０周年を記念した、昨年２月ブレヒトの芝居小屋と俳優座劇場での「日本の気象」、今年５月のブレヒトの芝居小屋での「林檎園日記」。前者は作者最後の作品であり、後者は戦後では初の発表作品。時あたかも民芸が「火山灰地」を上演した。３作とも半世紀に近い、あるいは超す久し振りの上演になり、私は初めて舞台で見た。民芸の久保戯曲上演ならわかる。戦後、この舞台で民芸は民芸たりえたと演劇史は位置づける。久保は民芸の（特別）劇団員でもあった。しかしなぜ東京演劇アンサンブルなのか。久保戯曲への初挑戦なのか。
　この２作を上演する素地は、劇団にあった。チェーホフとブレヒトである。「林檎園日記」にはチェーホフの「桜の園」あるいは「ワーニャおじさん」の影が落ちている。久保自身も「桜の園」については、そうほのめかしている。全４幕、整然とした時間の推移の中に、激動する時代に翻弄され、没落していく人間たち。日記の朗読で叙事形式を強調する作劇・演出は、劇に内在する時間感覚を表現して効果的だった。
　道子役の清水優華が、朗読を含めてナイーブな心を表現し、傷つく魂の痛ましさを見せたのは収穫だろう。若者の繊細さといえば継男役の白石那由他も身勝手さやわがままぶりを熱演していたが、演技の強弱、めりはりが今後の課題。正義役の長畑豊は、一攫千金を夢想して失敗する気の弱い当主を演じて大人の存在感があった。寿々役の志賀澤子は、なかなかの貫禄。滅び行く者の運命を淡々と受け止める大きさがあった。志津子役の原口久美子の清楚でひたむきなありようも魅力だ。全体に清潔で商業主義のくさみのない演技アンサンブルは、高田一郎の象徴化された舞台美術ともども忘れがたい。
　思えば、表面的な演技をするな、存在しろ、とは広渡演出の特徴なのだろう。それが時として役と役者のずれを拡大する。せりふがこなれない棒読み、大仰な仕草、表現も散見するのも事実だ。リアルと異化。この２つは、今もって東京演劇アンサンブルの命題のようだ。いかに役らしく、それらしく模倣するかという技術主義に対する異議申し立てを愚直にする。これも志の一つのありようか。無名の作家信胤（公家義徳）に込められた戦争責任の追及は、今の時代にはややロマンチシズムにも感じられるが、広渡の志と共振する。
　ブレヒト作「ガリレイの生涯」は東京演劇アンサンブルの代表作。２０世紀の特徴である科学技術の疎外を扱っているが、「日本の気象」も、そうだ。戦争と技術をめぐり人々はどう主体的に生き、敗北していくか。ここらが広渡演出の琴線に触れたに違いない。久保栄はかつて「日本の伝統を生かした坪内逍遙、西欧近代劇を移入した小山内薫、勤労者の主題をとらえたプロットと、この３者の共同研究をして、それを乗り越えることから新しさが生まれる」と語っている。歌舞伎から出発し、ヨーロッパ近代演劇をくぐり抜け、生きた時代に雄大に立ち向かった創作劇に到達した。そして広渡常敏と東京演劇アンサンブルである。チェーホフとブレヒトをくぐり抜けての久保栄。いい道筋である。しかし、彼らの孤立する志が、時代遅れのドンキホーテのように見える所に、今の演劇界の現状と喪失感がある。時流に敗れ続けることで広渡常敏は広渡常敏たりえるのだろう。

（やまもと　けんいち・演劇評論家）

『林檎園日記』を推す

矢野誠一(芸能評論)

　「二〇〇五年演劇界の収穫」として、私は東京演劇アンサンブルの上演した久保栄作、広渡常敏演出の『林檎園日記』をあげる。
　歌舞伎や文楽、宝塚歌劇などの一興行を一本と計算して、昨年は一九一本の舞台にふれてしまった。ふれてしまったと書いたのは、なにもこんなに沢山観なくてもよかったという悔恨の思いからである。それにしてもあまりにも安易にそして簡単に芝居がつくられてしまうこんな時代は、五十年をこす私の観劇生活のなかになかった。送られてくるおびただしい数の案内をかねた招待状のなかから「どれを捨てるか選ぶことから劇評が始まる」という倉橋健の言葉が、なつかしく思い出される。そんなありさまでふれた一九一本の舞台のなかで、五月十八日、ブレヒトの芝居小屋の堅い椅子の上で過ごした四時間には、まぎれもなく創られた演劇的時間が流れていた。
　一九三六年あたりと推察される時代の、三代つづいた北海道の林檎園の住家を文字通りの舞台に、二代目園主の妻・寿々(志賀澤子)、その長男で園主・正義(長畑豊)、次男の無名作家・信胤(公家義徳)、正義の娘で題名の日記の書き手・道子(清水優華)などでくりひろげられる。これもひとつのホームドラマにちがいないのだが、そう言ってしまうのをためらうのは、ホームドラマという言葉についてまわる、安っぽいヒューマニズムの胡散臭さがすでにひとり歩きしているからだ。おなじ揶揄的な表現でも、久保版「父帰る」とか「桜の園」のほうが、まだ『林檎園日記』に添っているような気がする。
　一九四七年の『林檎園日記』の初演は、高い評価が得られなかったようだ。久保栄は自分の受けた「悪意のある罵声」が「戦時中のいかがわしい行動を、率直に大衆の前に自己批判することなく、にわかに文化運動の指導者を気どりはじめた人たちか、それへの盲従者」から発せられたと、一九五二年に書いている。敗戦直後の文化状況が目に見えるようだ。こうした久保栄の立場をふまえて、次男信胤を作者の分身として『林檎園日記』は、久保栄作品のなかでいちばん女女しい戯曲なのだ。困ったことに、いやべつに困らなくてもいいのだが、いまこの芝居を観るとその女女しさがなんとも人間的で、演劇的で、魅力あるものとして迫ってくるのだ。
　どうも世の指導者や藝術家に限らずいわゆる市井の人びとまで、戦時中にとった行動を取りあげて、それが協力的であったが、ふたつにひとつの分類の上で批判したり、肯定してのける傾向があるのだが、戦争への対峙のし方にはそんな大雑把な判断が許されるものではない。女女しい態度で戦争にむかいあうなどは、それでなくとも複雑な心理行動の避けられない芸術家としては格好なものとも言えるのだ。
　劇場空間に創られた演劇的時間が流れるのは、きわめてあたりまえのことなのに、私が『林檎園日記』のそれを特に取りあげたのは、昨今の舞台、それももはや廃語となりかけている「新劇」系の、なかんずく「小劇場」系の役者たちの創り出す舞台に、荒っぽくて行儀が悪く、たしなみというものを忘れたものが氾濫しているからだ。あの種の舞台にふれることは、たしかに非日常的な時間を費やすことではあるが、演劇的な時間とは言えない。こんな舞台ばかり観せられているさなかに『林檎園日記』のような、まっとうな芝居づくりの姿勢にふれると、ほっとするのだ。
　だからと言って、『林檎園日記』の舞台成果が、昨年私の観た一九一本の芝居のなかで断然他を圧していたわけではない。四時間の芝居が終って、感動のあまり堅い椅子からしばし立ちあがれなかったわけでもないし、自分に勇気がわいてきたわけでもない。誰某の上手な芝居に涙をもよおしたり、腹の底から笑わされたわけでも無論ない。なにがどうだったというのではないが、ただなんとなく充ち足りた気分でブレヒトの芝居小屋をあとにできたのだ。いつもそんな気分で劇場を出られることを願いながら、劇場通いをしている私だが、実際にそうなることは滅多にないのだ。
　新劇で芝居開眼して五十年がたってなお、新劇独自の演技術確立には、とうとう出会えなかったような気がする。スタニスラフスキーも、ブレヒトも、社会主義リアリズムも、その方法論の模索と試行錯誤のくり返しを象徴する名詞に見えてくる。うまくはないが間違っていないし、なによりもたしなみをふまえた役者たちのつくり出す『林檎園日記』の、ある種女女しいひとの営みにふれて、「ああ、こんな芝居が観たくて五十年新劇を追いかけてきたのだ」という素朴な感慨があった。
　この雑誌恒例の特集に、いつも変化球でかわしてきた気味があったが、ことしはストレートをほうってみた。スピードが落ちたと言われるのは、覚悟のうえだ。

一年経ってしまった「林檎園日記」の追想二、三

　 ――05年５月17日・23日の舞台を観て――

よしだはじめ

　一つの公演で二度舞台を観るのは、わたしにとってあまりない経験だったが、それは、芝居とわたしの快くて、深いかかわりをつくった、よい体験としてのこっている。
　（1）『林檎園日記』の内容、作者について触れる必要は全くないだろう。なによりも、「東京演劇アンサンブル」の果たした仕事にいえるのは、その久保栄の作品に対する、忠実で誠実なとりくみだった。
　時を経た作品は、上演者のそのときの主張にしたがって舞台化されることが多い。それはたしかに必要な対応といえるだろう。
　過去の舞台の再現をねらうだけの平たい上演には閉口するが、逆に、創り手の主観の露出、表現の独自性を求める志向がひたすら前面に出てくる芝居にも同じような思いを抱く。作品（作者）と上演者と観客とがしっかりした呼応をもつことが、どういう表現行為によって醸成されるのが具体的に問われると思う。
　『林檎園日記』は、15年戦争の時代の状況が、北海道の歴史と現実のなかに設定される。旧家の没落のさまが展開していく。そしてもっとも大切なのは、それらとかかわって、そこに生きる人たちのありかた・生きかたが真正面に、それぞれに描かれていることだ。英雄はここには出てこない。弱点をさらけだしながらも、なんとか自分の足で、目の前の状況と向きあって生きていこうとする、ごくふつうの人物たちの姿である。そこに当時における現実性があり、いまにつながる普遍性がある。
　この作品は、『火山灰地』と対比され、そこからの後退した弱点がよくいわれ、久保の私小説的な自己弁明として問題にされたこともあるようだ。わたしは、その見解に基本的に反対だ。『火山灰地』のすぐれた特質は当然のこととして、『林檎園日記』はその亜流ではなく、久保は新しい質のドラマづくりにとりくんだのである。もちろん、彼自身のありようも否応なくそこに反映させながらだ。『林檎園日記』はその視点を外したところに上演は成り立たない、とわたしは思っていた。
　そして、「東京演劇アンサンブル」の舞台は、そうしたわたしの想いに応えてくれたものだ。作品のおさえかた、人物の形象化に、背のびするのでなく、「誠実」に向きあって創造のとりくみをしたように感じる。そのことが、人物たちと同じような悩みをかかえるわれわれのありかた、生きかたを考える芸術的刺激として届いてきたのだ。
　『日本の気象』も、そこに、時代状況と対する人びとの生きかたが描かれている。だが、『林檎園日記』とのちがいは、気象学者、研究者のそれが主軸として追求されていること。そしてより大きな問題として、敗戦から右傾化によるレッドパージの嵐、民主運動の行き詰りという、状勢の激変と直接に向きあわざるをえないことである。状況と人間とのかかわりを描くことは同様でも、『日本の気象』では外的な社会条件が作品展開に強く働いているのに対し、『林檎園日記』では、人びとの生活そのものへの志向が大きい、と思われる。したがって、同質ともいえる久保のこの二作でも、現代における上演には、基本的視点は同じであっても、それぞれに適したくふうが否応なく要求されるだろう。
　（２）その意味で、『林檎園日記』の舞台は、人物形象がそれぞれにしっかりと創られていて、登場人物10人（郵便配達をのぞいて）のアンサンブルができていた。装置も作品の質を受けとめていながら、自然主義的な形ではない「リアル」さと象徴性とを生み出していたし、雨戸や軒のつらら(その水のしたたり)、そして小道具にも気配りが行きとどいていることも、演技と相関して、作品世界を具体的に観客のところに届ける力となったように感じる。
　せりふは、「対話」による「語り」といってよいのだろうか、話すべき対象、話している相手に「はっきり語る」ことで観客の受容をうながすものだ。形象・俳優の感情にゆだねるのではなく、その上に立ちながら、せりふを相手役を通過して観客に届ける「語り」である。それは、「東京演劇アンサンブル」の表現のありかただといえるのかもしれないが、『林檎園日記』作品それ自体が求め、そしてこの小屋でのあの舞台と観客との関係にとって、不可欠で有効な表現だったといえる。道子の、長い、日記にしても例外ではなく、せりふの「モノローグ」「朗読」でなく「語りかけ」になっていたことを肯定的に認める。
　（３）一公演で二回観たといったが、二度目は舞台の弱点がみえてしまうのではないかなと心配もしたが、そういうことはなく、むしろより丹念に、芝居、人物形象、俳優の表現をうけとめることができたように思う。一例をあげると、17日の舞台では、寿々の存在が全体のなかで若干浮き上がっているところがあり、志津子の表現が信胤とうまくかみあっていないと感じた――わたしの主観的印象で正当でなかったかもしれない――のだが、23日では、そうした思いを感じることはなく、むしろふたりの演技がすぐれたものとしてわたしの心にひびいた。役者も観客も生身の人間であって、その日の意識と存在のありかたで、かかわりも感動も生まれる。芝居はまさにそういうものなのだと思い、それはたいへんにうれしい体験だったのだ。
　もちろん、「もうちょっとできるのに」「こうであってほしかった」と感じるものがなかったわけではない。だが、一年経って、わたしにのこされているのは、そうしたことよりも、『林檎園日記』の世界への好ましい回想であり、久保栄と「東京演劇アンサンブル」が提起する、『林檎園日記』の課題がいまもわたしの心のなかに動いているということだ。

(06年５月23日)
よしだはじめ (吉田一) さん
「久保栄『火山灰地』を読む」(法政大学出版局刊)の著者。
一九五五年、「演劇集団土の会」を創立・主宰。
全日本リアリズム演劇会議(全リ演)機関紙「演劇会議」編集委員。

　『林檎園日記』初演の頃と今回　

　藤　田　洋　

　「林檎園日記」は昭和二十二年三月の前半半月間、帝国劇場で劇団東京芸術劇場公演として初演された作品である。わたしはまだ十三歳位で、見ていない。記録を探ると久保栄作・演出。今回の志賀澤子の寿々が信千代、長畑豊の正義が森雅之、清水優華の孫道子が荒木道子、公家義徳の信胤が滝沢修、原口久美子の志津子が山本安英、樋口祐歌のトメが菅井きん、といった配役だった。
　久保は昭和十三年の「火山灰地」以後、十五年の新劇人検挙によって一年半拘禁されたあと、病妻を看護しながらドイツ語の家庭教師、合間にゲーテの「ファウスト」の訳業や評伝「小山内薫」の執筆で細々と暮らしを立てながら、戦争終結を待っていた。かねて構想を暖めていた「林檎園日記」を昭和二十一年に完成させて、九年ぶりに「戦後はじめてのまとまった創作劇」（朝日・井沢）として上演されたのである。
　当時の劇評を読むと、「この和製『桜の園』は没落の過程を、明治初年生れの初代園主の娘である老婆寿々の官給の土地に対する執着に重点を置き、このあやかしが三代目の園主正義、孫の道子らの示す新しい更生の道を捨てる事によってほのかな救いが暗示されているが、薩長政府に逆らって、北の新天地に自由の国を造ろうとした移住当初の大きな目的も、やがて何が新しい事か古い事か、何が文明かという懐疑を持つことになるという点にこそ作者が語りたい主題があろう」(安)と記している。
　しかし一方で、「観衆はつねにすぐれた批評家である。帝劇におけるかなりの〝不入り”がこの戯曲にたいする痛烈な評価の標準を物語っているのではないか」とした上で、「久保栄は安倍信胤という作家の口をかりて便乗作家の批判をこころみる。だがその言葉にわたくしは機会主義的な臭味をすら感じた」（Ｃ）という評もみられる。
　この上演以後活動が頓挫して劇団は民衆芸術劇場(現民芸の前身)に姿を変えていくことになる。
　東京演劇アンサンブルが戦後六十年の節目を迎える時期に、「林檎園日記」を完全上演しようという意味は、過去を検証するものとして高く評価されるべきことは、いうまでもない。批判的な記事を引用したが、一方では「近来まれにみるすこぶる巧緻な作品。（略）すぐれた演出とあいまって久しくこの国に涸れたロマンチシズムが全幕にみちあふれ、生活的には救いのない結末を助けている」(英)という賛辞もあった。そう、こんどの再度の上演に、ロマンの香りが満ちていたのは演出（広渡常敏）の卓見によるものであることを付け加えておきたい。
　目を奪われたのは、男優たちの誠実な演技であった。女優陣ではとりわけて寿々の志賀澤子が、どっしりと開拓農家に根をはやした老女の気骨と情味をうまく演じていたし、道子の清水優華が新鮮だった。初演の道子役の荒木道子はのち文学座に移ったベテラン女優だったが、当時は“新人”と書かれ、菅井と共に「はつらつたる演技は　高く買れるべきであろう」とされていた。六十年の歳月の長さを、しみじみと実感させられた舞台であった。

(ふじた　ひろし・演劇評論家)

『林檎園日記』をめぐっての感想　

　祖父江昭二　

ざっと二十年ぶりに久保栄『林檎園日記』の舞台に向い合い、作者自身の解説などにはとらわれず、成心なく作品そのものが語りかけるものに耳を澄ませた。そして、この戯曲は、いまこそ深いところで受けとめられるべきものだと感じた。
　それと言うのも、二十一世紀に入った今日、戦前に戻ったかのように、中国への侵略戦争を「自衛」だなどと主張する、恐らく一国を除いては世界のどこでも通用しない、ひとりよがりの声が大手を振って横行し始め、明日への展望を持ちにくくなる中で、混迷・彷徨・絶望の方向に流されず、何とかそういう事態から這い上り、人間として自立して生きる道をどうつくり出せるのか、そういう目覚めと意欲とは何によってもたらされ、支えられるのか――こういうことを感じ、考えざるを得ないのが、今日の日本の現実だろう。むろんそういうふうに感じ、考える人びとはなお少数派であることはわきまえているが。
　そうはだ身で感じると、この『林檎園日記』が、敗戦からそれほど時が経たなかった初演の時（一九四七）よりも、かえっていまこそ……と思うのは、それほどとっぴな発想でも、ひいきのひき倒しの評価でもあるまい。
　舞台は、この「人間として自立して生きる道」を懸命に生きようとしている人びとの姿を全体として提示していて、ぼくの内側になだらかに入ってきた。結果として(あるいはねらい通り)、「林檎園日記」を書きつづける道子が、あざとくなく自然に浮き彫りにされ、そうなんだと納得した。
　ただ、それぞれの幕の冒頭で「日記」が読まれる場面。舞台では道子が動力で操られるリフトに乗り印象づけられ、一つの効果を与えているとも思った。しかし戯曲に従うと、たとえば、となりの「上田林檎園」とこちらの「安倍林檎園」とは「だんだん家の格が開いてくる」と父・正義が述懐する時、その例として「薬を木にかけるのにも、あい変らずの手押しポンプ……むこうじゃ、動力機だろう」とこぼす。その時からさらに没落していく「安倍林檎園」を支えるべく努力している生活者の道子を凝集するイメージとしては動力仕立てのリフトはふさわしくないのでは、と感じた。
　いま一つ、紙数が尽きかけたので結論だけを書くが、一面では道子も頼りにしている叔父・信胤が「精神文化連盟」の「懸賞脚本に応募」し、そのことを懸念していた友人・高須の妹・志津子にも打ち明けられないという弱さを背負った人間であることがよく伝わり、この点もよかったと受けとめた。
　「アンサンブル」の今後の成熟を願いつつ、ペンをおくことにする。

(そふえ　しょうじ・近代文学)

『林檎園日記』の感想　

　三和康太郎

「ブレヒトの芝居小屋」は、私ははじめて行きました。「何何ホール」といった感じの所かと思ったのですが、行ってみると、敗戦後の田舎の工場の事務所や倉庫のようなボロな感じを受けましたが、設備の点で不便さはあるにしても、そこで行なわれる演劇の水準の高さとは関係のないことだ、とつくづく思いました。
　舞台が観客席に対し、斜めに設営されている事、舞台の板の間の位置が観客の椅子とほとんど同程度の高さで、それらが極めて強い迫力を生み出したのでは、と感じました。このような舞台はあまり見た事がありませんでしたから。
　このドラマは、『火山灰地』と何かにつけて比較されていますが、全部の舞台が同じ場所である事、幕の数や所要時間、登場人物が少ないことなどでいえば、たしかに「前作の力強さは影をひそめ」ているでしょうが、もともと『火山灰地』のような超大作と比較するのは無理なことなのでしょう。久保戯曲に対する戦後の待望の強さが「期待を裏切る凡作であった」などいう悪評を生んだ事が理解される次第です。
　本作でも『火山灰地』以来の「科学理論と詩的形象の統一」は充分に果たされていると思われました。農産物とか『のぼり窯』のレンガとかいったモノづくりの「生産部面」にしたがっている人々の生活を基盤とする久保作品の写実性は、多くの作家のいい加減の描写と比べて格段の相違があり、理系人間である私がとくに注目するゆえんです。
　公演中、こまかいところは色々修正されて演じられる事と思いますが、十四日拝見して、仔細な所で印象に残ったことがあるので、次に記します。
　第二幕かで、皆で食膳を囲むところがあり、確か六人だったと思います。道子だけは全く口をつけませんが他の人はそれぞれ飲み食いしている。この時イロリの手前に吸い物が五人分出ていたのですが、私は食事だと吸い物も出ると思っていたところ、これは劇中全く扱われませんでした。後で考えてみて、登場人物たちの心理状態を示す一方式なのか、と気づきました。
　私は当初の久保演出を知らないので、あまり詳しい事は指摘できないのですが、砂防ホールの時は道子がリンゴを収穫する動作を見せていました(スクリーンを使って)。広渡様演出ではそういう処を出されず、色々と新しい工夫をされていることを感じました。久保原作を読むと必ずしも具体的に指定しているのでないところもかなりあり、演出者が具体化するのは大変なお骨折りだろうと考えます。
　『日本の気象』『火山灰地』『林檎園日記』と続き、久保作品がブームとは云えぬでしょうが、重要性が見直されて来ているのは、顕著な現象です。小説『のぼり窯』も――故小笠原教授の以前の編纂本がありましたが――重要性が見直されると良いと思います。

(みわ　こうたろう・エッセイスト)

久保栄再評価の壮挙

石沢秀二　

　戦前の反資本主義リアリズム演劇の傑作とされた久保栄作『火山灰地』一部・二部が、劇団民芸の総力を結集して内山鶉演出で四十四年ぶりに再演された。続いて、東京演劇アンサンブルが広渡常敏演出『林檎園日記』を彼らの拠点「ブレヒトの芝居小屋」で帝劇以来五十八年ぶりに上演した。広渡は、久保の戦後代表作『日本の気象』を民芸初演以来五十一年ぶりの上演を昨年に果たしていた。
　つまり昨年から今年にかけて、久保が入院中の病室で自死をとげた一九五八年以来、初めて戦前・戦中・戦後の代表作が連続上演され、激動する時代の変化に対応した久保の一貫した誠実な姿勢と超近代的な劇作術が鮮明にあぶり出された。しかも、旧ソ連直移入の「社会主義リアリズム」の芸術理論は色あせ、久保にまつわる伝説的衣装も剥ぎ取られ、劇自体の裸の骨格が新世紀に再評価を迫ってきたのだ。　例えば『火山灰地』。『忠臣蔵』の大序にも似た「歳の市」から「前夜」に終わる七幕は上演時間七時間、登場人物九十人近い大長編。妻を自殺未遂に追い込む良心的科学者雨宮一家、その女中しのと雨宮の学説を受け入れ迫害される農民庄作の兄妹、しのの恋人の炭焼き治郎一家、これら三家族の苦難の物語と大企業側となった雨宮の学友唐沢と岳父・滝本博士、更に金貸しの地主ツタは体制側を象徴し、随所に叙事的語りが挿入され、人間関係は重層的に交錯する。
　この劇作法は、人物の対立・葛藤をベースにして求心的にドラマが一極集中する近代写実劇の手法を越え、むしろ叙事的で多面的に放射拡散する遠心的劇作法と言える。これは歌舞伎通し狂言の劇作法に近く、ブレヒトの叙事的手法をも想起させる。この反近代的劇作法は現代でこそ新鮮な輝きをいっそう発揮していた。
　しかし今回の民芸上演では、雨宮家のホームドラマ的色彩が強く、農民や炭焼きなど、久保の言う「土に棲む人びと」の典型的形象が弱かった。日本軍が南京を占領した一九三七年末前後の北海道帯広の「火山灰地」に棲む人びとの生活者群活写するには、「写実」の「実」が現代では喪失しているだけに知的想像力に溢れた創造性が要求され、そこに現在のリアリズム演技の重要な課題を感じた。今後は恐らく、抽象化された農民的「型」の創造をベースに各自の個性を肉付けする演技法が必要になると思った。
　『林檎園日記』は、「『火山灰地』をシンフォニーと呼ぶなら、室内楽ふう」と久保自身が言うように、札幌郊外の安倍リンゴ園の北海道開拓以来の旧家の土間に面する茶の間と台所に舞台は限定される。民芸『火山灰地』初演の舞台に似せて、写実に飾った装置家高田一郎が今度はブレヒトの芝居小屋の小空間に合わせ、写実を抑えた抽象化をほどこし、劇世界を現代的に活かしていた。これは恐らく広渡の演出方針であろう。
　時代はヒットラー・ユーゲントの一団が札幌にまで日独青少年の交流に訪れた一九三八年。ちょうど『火山灰地』初演の年。執筆は釈放後、公的活動を避け、病妻を抱えて東京空襲の始まる一九四二年以降に絶筆を覚悟しての創作活動である。
　戦時下の屈折した久保の心情は劇中の無名作家信胤に反映している。劇は信胤の兄、三代目当主でお人好しの正義が鉱山事業に失敗し、更に失敗を重ねて母寿々の父初代の遺した官給地までを手放す、一家没落の過程を約半年のできごとに集約している。表題の日記は正義の娘道子の日記で、『火山灰地』同様に叙事的語りの役割を果たしていた。主要人物十人の生活が、不在がちの父に代わって健気に働く道子の視線から客観的に描写される。
　劇展開は静かで、激情に駆られた対立・葛藤というウエルメイドなメロドラマ的手法は意識的に避けられた結果、各人物の、口には出さずに抑えた内的葛藤の烈しさが逆に照射され、観衆の想像力が大いに刺激され、上演四時間を飽きさせない。暗い谷間で人びとが自立し、各自の信念に生きる群像に共感する。とりわけ寿々と正義、信胤兄弟の三者三様の生き方が興味深い。その生き方は時代の枠を超えていた。
　俳優たちはうまくはない。しかし、表層的な感情移入を避けた客観的語り口が、役と演技者の二重性を通して人物の真実感をアンサンブル良く観衆に訴えてくる。娯楽的消耗品に溢れ、一見、華やかに消費される演劇界は、実はお先真っ暗な暗い谷間をさ迷っているのが実情であるだけに、両劇団の特色を問われた久保作品の上演は、まさに暗夜の一灯であった。
　今後も練り上げた再演だけでなく、久保作品の新たなリメイクも大いに期待したい。それが劇団制度の在り方と特性を吟味することにもない。

(いしざわ　しゅうじ・演出・評論家)

東京新聞（２００５年６月４日）

注　『林檎園日記』は、一九四七年初演(東京芸術劇場　久保栄演出、一九八四年再演（劇団民芸　内山鶉演出）があり、今回の東京演劇アンサンブル　広渡常敏演出は三度目の公演となります。

2005年５月公演の観客の皆さんからのアンケート

■集中して、全部の場面を見ていました。とても心に残りました。あっという間の四時間でした。自分の今の実家の状況にとても似ていて、いろんな思いを持って観ていました。舞台のセットもすごくてびっくりしました。プライドを捨てることの強さを知りました。今日はいい時間をありがとうございました。(20男性)

■素晴らしい舞台装置がすがすがしい朝を迎えたところで突入するラスト・シーンにひびく信胤のセリフは、いつかきっと、人が組織のなかにいながら、組織が必然的に生み出すヒエラルキーのなかで発生するパワーに人格的従属をせずに、またそれが暗にその内包する人々の精神活動や物理的行動をある特定の方向へ導こうとする「意向・趣向」に迎合することを潔しとせずに、精神的に自立して活き活きと活動していくことができる、そんな時代の到来を十分な説得力をもって、予感させずにはおきませんでした。無垢で、ひたむきに、懸命に生きる道子やどうにもならない現状からくる内的葛藤に苦しむ継男を演じた俳優たち、舞台装置をはじめとしたスタッフ、演出など、すべての要素が、すさまじいまでのプロ意識をもって、舞台空間にうまく溶け合って結実した、とてもいい芝居でした。(39男性)

■狭いアトリエながら、バッチリ組まれた装置――それだけで嬉しくなる。さすが高田一郎さんだ。そして一言も聞きもらすまいと耳をそばだてる私に、ゆっくりと間をおいて語ってくれる役者たち。ムダがなく、そして一言一言がすべて意味をもったセリフ。完璧な舞台だった。まさに新劇の古典！(66男性)

■黒光りのする居間の床の設定にまず芝居のどっしりした骨格を感じる。『前夜』の暗く軋んだ世情の家庭への投影が、刻々のセリフに表われ、緊張に満ちていた。映画「北の零年」はこの作品を下敷きにしたのかなと思わせた。民芸の『火山灰地』一部二部をみたあとで、続編として観てしまった。人物配置がやや共通する。りんご園は生活がかかっていて、より切実感がある。農村の分解過程と同時に、知識層の苦渋も描いている。いたましい気持ちで観た。人物たちのやりとりの呼吸が、いまひとつかみ合わない。半拍ずつ遅れている。演劇でしか提示できないものをみせるよう努力されているアンサンブルの姿勢に敬意と期待を表します。（71男性・沖縄）

■民芸の『火山灰地』を見て、日本の正統なリアリズム芝居の香りに触れて、あらためて久保栄の戯曲のていねいさに感動した。そこでハシゴをすることになったわけだが……。端正な舞台でした。もちろんそれは台本によるところが多いのでしょうが、役者の皆さんの飾らない姿勢も寄与していたと思います。『日本語の純粋度について』の原稿は、いつ本になりますか? (65男性)

■たいへん忍耐強く、力強く、久保栄のことば、精神力が伝わりました。とてもよかったです。(42女性)

■この前民芸の『火山灰地』の第一部・二部を見て、つづけてまた久保栄のお芝居をみましたけれど、やるほうもたいへんなら観るほうも大変。同じ時間空間を共有して一緒にものごとを考えることができました。いま見ると、リアリズムにはちがいないが、日本の封建制もしっかり書かれている。(女性)

■重厚な作品だが、俳優の皆さんがよく作品の良さをひきだしていました。日本語の美しさが良く表現されていました。(55男性)

■東京演劇アンサンブルの『林檎園日記』を観た。最近、久保栄の作品を東京演劇アンサンブルの『日本の気象』、民芸の『火山灰地』と立て続けに観る機会があり、その重厚な作品と脚本の魅力に惹かれた。今回横浜からは遠い会場なのでどうしようかと思ったのだが、昭和二十二年に帝国劇場で上演された東京芸術劇場の『林檎園日記』を私の父が観ていたという記録もあって観に行くことにした。昭和二十二年は終戦後間もなくのことであり私の父も昭和二十一年にようやく満州から帰国した翌年のことであった。勿論そのとき私もこの世に生を受けていなかった時のことである。終戦直後の混乱期にこのような作品が上演されたことも驚異的なことであるが、日本がまさに復興に向かって芸術面でも様々な活動が始まったことのひとつの証とも言えよう。今回の上演に触れて、四時間に上る大作で地味な題材にもかかわらず緊張感のある飽きさせない舞台であった。信胤役の公家義徳、道子役の清水優華、志津子役の原口久美子が久保栄の脚本の力を十分に表現していたと感心した。特に志津子役の原口久美子のセリフには今は失われてしまったと思われる女性の日本語の美しさが現れており終演後もその余韻に浸ることができた。昭和二十二年の上演時父は「隣の席で強い眼鏡をかけた久保栄が鉛筆をなめなめ舞台を見ながらノートを取っていたのが印象に残っている。」と記している。五十五年以上後の今日の上演される機会に私が出会えたことも何かの因縁かもしれない。(男性)

■久保栄のドラマを面白く拝見しました。ただ欲をいえば次のように書かせていただきます。信胤は東京で作家になれず、その志を捨てぬまま、日々果樹園の仕事に縛られているのだから、苦悶は大きいと思うが、舞台の上の彼は、おかれた状況の中で半ば悟ってしまったみたいに見える。セリフになくても、それを表情や所作で垣間見せてもよいのではないか。その方がフィナーレで懸賞応募原稿を燃やす動作もより生きてくるのでは?　道子はしっかり者ででき過ぎている感がある。あの年頃の娘らしく喜怒哀楽の感情がもっと表されたほうがリアリティーがあると思うが？　自分の経営の提案を祖母に拒まれ、急に泣き声をあげるところなど反って浮いて見える。彼女の今朝吉や幸彦に対する気持ちはよく分からないが、演技でそれとなく表すほうが面白いのでは?　幸彦は道子に「もううちへ来てくれるな」といわれ、当然のような顔で去るが、その直前まで信胤と親しく話していたことでもあり、意外な、あるいは驚いた、あるいは残念そうな顔をしてもよいのではないか?　寿々、正義、志津子、源三郎、今朝吉、トメはそれぞれりっばなご演技と拝しました。特に志津子が「信胤を好き」とは一言も言わないが表情や所作でそれとなく感じさせるところは、この方の演技力でしょう。このドラマが設定された暗い時代、あるいは状況の中で、一条の光がさしており、若干の救いに見えました。(77男性)

■久保栄の作品はもう相当昔『火山灰地』を確か読売ホールで観た記憶があるが、今回はそれ以来である。反戦など思想的な面がもっと強く出るのかと考えていたが、思った程その辺のことは抑制されていて、人間ドラマとして人の生き様が中心に据えられていたのは大変良かった。私が特に興味深く感じたのは、前半の終わり近くで長男が鉱山から久し振りに帰って来て家族が囲んで夕食をとりながら各人が各々の意見をぶつけ合うシーンであった。どこの家庭でも血がつながってればいるほど自我がむき出しになり、いわゆる骨肉の争いになり易いのである。誰が正しくて、誰が悪いということは一概にはいえないのではないか。役者としてはおばあさん役の志賀澤子さんがなかなか良い味をだしていてさすがベテランという気がいたしました。(65男性)

■あのおじいちゃんみたいな役者になりたいです。照明に感動したのは初めてです。(21女性)

■一九四八（S22）年、旧制の山形高等学校の生徒のとき、さそわれて演劇部に参加し、『林檎園日記』をやりました。昼夜など三回しましたが、三回目のときは、教師も学生もたくさんみてくれてたいへん盛り上がったことを覚えています。学校もすぐになくなり、五十七年たち、その頃の仲間の消息もわかりません。演劇部とはいえ、この公演で解散しました。激動の戦後の時期でした。感慨深く観ることができました。(75男性)

■重厚な作品――どっちりと存在感のある劇。いつかは、一度はやりたくなる作品ではないのかな…役者なら。いまの時代(閉塞状況)に警鐘ならす、しっかりと時代をみつめて、いい芝居でした。私もがんばらなくちゃね。(63男性・福島)

■昔の人たち、といっても最近かもしれませんが、その方たちのほうが、真剣に真面目に生きていたんだなあと強く思いました。長い日本語の美しさもよかったです。(女性)

■舞台装置、簡略なセットなのにとても重厚な感じ。いつの時代の一つの歴史を語るには、これだけのセリフと時間があって初めて納得させることができると実感しました。これまで観たことのない重たい感動を味わいました。ますますのご健闘を。また見せてください。(63女性・福島)

■初めて観劇させていただいたのですが、はじめはやっぱり方言などが少し難しくて、頭を抱えていたのですが、観ているうちに自然に理解できるようになり、すごく気持ちなどが入ってきて楽しく観れました!!　本当に良かったです。前向きに進んでいく人々!!　見習いたいと思います。(20女性)

■終演の日に天気が悪くどうしようかと迷いましたが、結果的には行ってよかった。演者の一人一人がそれぞれの人物になりきっていて、個性が独立して交じり合っているという印象だった。久保栄の表現したかったことが演者によって観ている私伝わってきたという思いがした。(75女性)

■開演前、舞台装置を見ていて、私はひしひしと、しみじみと、生活を、そのつらさ切なさ悲しさを感じていました。人の居ない装置を前にしているだけで涙が出そうになっていました。こういう体験は初めてです。氷柱もよかったです。芝居を拝見している間は冷静に(?)､居心地悪く(?)、座っていたのですけれど、正直な気持ちを申しますと、登場人物の一人一人に、穏やかな生活、目標の成功がありますようにと祈るような感情があったと思います。表現全体の力ゆえでしょう。舞台の人々が動き回るわけではないのに、なぜかドキドキして見ていました。本当のリアリズムとは魂が生動するものなのですねぇ。長畑豊さんは『幻燈辻馬車』以来のような気がします。抑えきれないが抑えなければいけない役柄を見事に演じていらっしゃると思いました。“演じる”というのは不適当でしょうね(これは皆さんに言えること)。安倍正義がそこに居た、正義が生きているのをわれわれは見た、ということでしょう。“抑え”といえば松下重人さんがまた素晴らしい。最後、道子とのことを聞かれたときの答え方、拍手したくなりました。本当によかったなぁ、今朝吉さん、という思いです。道子役の清水優華さん――見終わった後、心が新しくなったみたいです。新品同様とはいきませんが、やはり清らかな水をたくさん注がれると……ねぇ、やはり。公家義徳さんについては改めて言うことはないのです。何しろいつも絶大な信頼感のもとに舞台を前にしているのですから。伊藤克さん、しかり。志津子――原口久美子さんはいつもナイーヴさが立ちのぼってくるみたいで、小柄であることさえもこの人の久しい美しさのためには必要なのだと考えたりするのです。クローズアップはなかったものの、桜井トメになった樋口祐歌さんも絵画になっていました。志賀澤子さん、この人は、もう大存在という感じですね。もちろん、いい意味ばかりで。隠れて隠れて……という感じが芝居の演出にはとかくあると思うのですけれど、広渡常敏さんの舞台のつくりには胸に満ちるものがあると思います。久保栄さんの戯曲はまったく読んでいないのですが、『林檎園日記』の一語一語には日本語の純粋度の十二分な高まりがあると感じました。本の高岩震さんの写真もたいへんいいですね。東京演劇アンサンブルは、傘を受け取ってくださる係の人、チケット担当の人、コーヒーをいれてくださる人、客席の案内担当の人、どこを見てもたたずまいがいい、と私ははっきり思います。ありがとうございました。(67男性）

■Very good! (66女性)

■アンサンブルの芝居、いつ観ても感じることですが、演出の、役者一人一人の生き方がしっかり伝わってくる舞台でした。今を生きる私自身に、静かに、じっくり、いろんなことを考えさせてくれた。良かった！(65女性・広島)

■やはり遠方から観に来てよかった。作品もしかり。団員の一生懸命の演技、感動しました。(72男性・栃木)

■嘘くさい演技を極力避けつつ、なおかつ芝居として見せる工夫はおこたらず、硬質でしっかりした作品だと思います。軽いものばかりがもてはやされるような風潮の中、こういった作品を上演されるのはとてもたのもしいことです。今後も楽しみにしております。(25男性)

■素晴らしい舞台でした。久保栄の作品の重さもさりながら、ズシリと体に受けるものがありました。(70女性)

■大変楽しませていただきました。(67男性・久保栄親戚)

■舞台が良かったです。上手のつららに驚きました。六月になってツララがなくなっているのにも驚きました。時間の流れが今の芝居と違いますね。ことばづかいに懐かしい心地よさを感じました。一方で硬質なテーマと地についた作者の思いを打たれたように思います。それをふまえ、芝居にまでたちあげたみなさんに好感を持ちました。(女性)

■日記という表現形式は必然的に自省的、内面的な様相を呈するものですが、それ故に書き手の周囲の人物や事象の特徴を却って際立たせる効果をもたらす場合も少なくありません。正確無比な客観的記述よりも、書き手というフィルタを通して語られるほうが、時としてずっと雄弁であるということです。そういう意味で、冒頭に挿入された道子の日記、しかも手書きの文面がもたらす視覚的、聴覚的効果は、この演目のベースラインを定めると同時に観客を開拓地の林檎園へと一気に連れ去るのでした。それぞれの思い描くものは少しずつ違っていたにせよ、安部家とそれに連なる人々は皆この林檎園に拠って立っていました。それが瓦解した時、あそこまで従容として現実を受け入れることが出来たのは何故なのでしょう？眼前に迫った一家の離散、経済的な困難、周囲の嘲笑。そういうものが瑣末な事柄に思える何かがあったはずですよね。月並みな言い方ですが、それは精神の自由が侵されていない、精神的に隷属させられていないからなのでしょう。ユーゲントの影を感じるまでもなく、それらを何もかも押し潰そうとする時代はもうすぐそこまで来ていましたが。信胤が燃やす原稿用紙の炎は、自身の邪心との訣別であると同時に自らの思う処に拠って生きていくという宣言であり、反撃の狼煙であるのだろうと感じています。それは作者と演出家の指向でもあろうかと。ブレヒトの「五箇条」の始めの２つ「書く勇気」、「それを見分ける知恵」でさえ覚束ない僕にとっては強烈なメッセージとなりました。「今まさに時は来たれり」ということでしょう！　今回はフレッシュな俳優さんたちが沢山登場しましたね。清水優華さんの（良い意味での）堅実な、また優雅さを感じさせる演技には感銘を受けました。次に舞台を拝見する時にはきっと大きく成長されていることでしょう。今後がとても楽しみです。 (30代男性)