『銀河鉄道の夜』韓国公演

東京演劇アンサンブル　韓国公演　

銀河鉄道の夜

作＝宮沢賢治　脚本・演出＝広渡常敏　音楽＝林光

2005年12月14日（水）～22日（木）　ソウル･ポチョン

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をご覧になる前に

広渡常敏（代表／演出）

尊敬する韓国の皆さん、私たちの作品を皆さんの前で上演できることをたいへん光栄に思っています。『銀河鉄道の夜』の童話的構図について、私はこう考えております。

『銀河鉄道の夜』はめくるめくイメージを読者に吹きつけてくる。ぼくが中学三年生の頃はじめてこの衝撃的な童話に出会って、ときめく胸の高鳴りをおぼえ、いいようのない感動持てあました夜のことを思いだす。戦争の日々の暗い灯火管制の電灯の下で、この童話を読んでいる一人の中学坊主の姿を思い浮かべる。現在の＜定稿＞と部分的に異なっている箇所もあった。超現実の作品でそれも夢の中の物語だから、説明のつかない難解なところがあるにしても、溢れる燐光のイメージの中を泳ぐんだと、ぼくも思ったし友人もそう言っていた。

　それは５０年後の今日でもやはりそうに違いないが、『銀河鉄道の夜』を舞台化するために脚本を書くとなると、夢の曖昧さでは済まされない。夢という意識化の海に潜められている詩人のエクリチュール（作品行為）をたどり、俳優が追体験できるように脚本が書かれなくてはならない。古くからの友人の一人は舞台なんか見たくない、作品の幻想的イメージがきっと壊されるだろうからという。だが演劇は文学から受けるイメージを舞台に再現するものではない。作者のエクリチュールの源泉に迫り、俳優自身の作品行為を行為するところが舞台なのである。

　賢治の＜不完全な幻想四次元＞世界では、人々の願いや祈りによって世界が変化する。思いが実現するのだ。そして銀河鉄道の彼方の四次元世界に＜おかあさんのおかあさん＞がいらっしゃる。三次元現実の＜おかあさん＞は病気で、ジョバンニの牛乳を待っていらっしゃる。四次元世界の＜歴史の歴史＞は三次元現実では＜歴史＞となる。どうやら幻想四次元の投影として三次元現実があるらしい。さながらマルセル・デュシャンの投影図法のようである。もし――三次元現実の人々の願いや祈りが、銀河の彼方の幻想四次元世界に届くならば、不動とおもわれる現実も変化することができるかもしれない。このような祈りにも似たユーモラスで稚気あふれる世界像が、『銀河鉄道の夜』の基軸構造である。

　槍のまっくろに並んだ坂道で立派に光って立っている電灯の下に自転車のスポークのように四方に伸びているジョバンニの影たち（二次元）。それらの影が地面から起きあがって（三次元となって）ジョバンニをとり囲む。ジョバンニは三次元から四次元へ出発することになる。銀河ステーションに夜の軽便鉄道の音が近づいてくるのだ。

ローソクの灯り

志賀澤子（語り手／制作／韓国公演団長）

1991年の真夏、はじめて降りたったソウルの街の若々しい活気に魅了されて以来、そこで行われたＩＴＩのフェスティバルでお会いしたキムユイヨンさん、キムジョンオクさん、ソンジンチャクさんが、その後日本で公演されたとき、舞台を拝見したり、居酒屋で飲んだり、ブレヒトの芝居小屋にいらしていただいたり、『桜の森の満開の下』『走れメロス』の韓国公演のプロデューサーであった私は、いつも窓口になって、それぞれの方とお会いすることができていた。そして1４年の時間が過ぎて、すっかり成熟した演劇界の重鎮になられた皆さんのお力で韓国公演が実現し、『銀河鉄道の夜』の語り手で、私も女優としてはじめてソウル、ポチョンの観客の前にたつことができたのはやはり感慨無量のことだった。

私にとっての『銀河鉄道の夜』は1980年の初演のときカンパネルラとして6年、ジョバンニで5年、そして語り手として2年、途中何年かの休みがあったが、私の人生の大切な変わり目に、哀しみの極限で、響きあってきた芝居だ。宮沢賢治が妹としを失った哀しみの心が、銀河を旅する、この哀しみの原風景が韓国の人たちと共有できるだろうか。実現できそうもない現実の変革にあこがれる心が伝わるだろうか？韓国で『銀河鉄道の夜』をみてもらいたい。賢治をとうして日本のマイノリティの孤独の心を知ってもらいたいと願っていたのだった。かつての殖民地政策を謝罪せず、傲慢に居直る日本ではなく。

韓国にいってみたら、翻訳の本がすでにあった。そして招聘のキムユイヨンさんは、「おかあさんは僕を許してくれるだろうか」というカンパネルラのことばと、「息子よ、遠く離れたところで、私はお前を呼んでいる」の歌に思わず涙が出た、そして日本と韓国の関係はゆっくり、まわりみちして、良くなっていくのだといわれた。歴史の歴史の発掘所で、プリオシンの化石となった涙やため息を知るジョバンニの心、ローソクの灯をみつめ、客席にともる灯りがゆれるのをみながら私たちはやさしい心に包まれていることを感じてならなかった。人の心の一番美しいところをひきだす芝居ですねと、キムジョンオクさんがいわれた。これまで観た日本の芝居の中で最高の傑作ですと韓国のある演劇評論家が言われたとも聞いた。

ブレヒトの芝居小屋に帰ってきた『銀河』からは、韓国の観客の心を通して作品と出会いなおした、役者一人ひとりの心の声が確実にきこえてきた。

韓国と日本の未来に向けた小さなささやき

金昌華（祥明大学芸術学部学長／哲学博士教授）

すでに50年以上の歴史と伝統を持った日本の代表的な新劇集団、劇団「東京演劇アンサンブル」が、２０年以上も持続的に公演された作品「銀河鉄道の夜」で、去る2005年12月、韓国公演を試みたことは本当に驚くべきことだった。特にソウルの中心部である文化日報ホールと抱川の半月アートホールで、それぞれ違う観客と舞台で上演されたうえ、この作品は韓国人たちが、現代日本演劇は韓国人に見知らぬ国、私たちがよく知らない国の見慣れない文化ではなく、私たちと共に心配し、呼吸し、楽しみ、生きる、そして苦痛を分け合うという、とても親しみのある公演となった。

そういう親しみは、今、30代後半から40代にさしかかった韓国の中年層が、子供の頃にテレビマンガで見た「銀河鉄道999」の原作を、演劇で構成したという嬉しさと共に、この演劇が持っている非常に深刻な未来に対する展望が、もしかしたら韓国の観客たちが思っている未来に対する考えと一致したからかも知れない。

日本でも良く知られた原作の物語は、20世紀に始まる新しい文化の文明の転機を予感するようだ。閉鎖された軍国主義から、自由な社会を志向する未来の肯定的な姿が込められた原作のメッセージは、“未来に対する希望は、ただ勇気ある者だけが持てる”というものである。今、21世紀に入った韓国と日本の観客たちは、まだ有効なこの演劇のメッセージを、とてもよく記憶している。

天国の星座は地球上の私たちの生と繋がれていて、地球での冒険と宇宙での幻想的な挑戦は、もしかしたら同じ文法と図式で理解することができるのだろう。

今回の公演の一番の大きな長所は、ソウルの文化日報ホールでは、非常に知的な観客の真摯な没入と演劇的想像力を刺激する公演だった一方、抱川の半月アートホールでの公演は、全家族が一緒に楽しむことができる幻想的な音楽劇になったということだ。同じ作品の一つの公演が、このように場所と観客ゃを異にしながら、途方もない反応の差を見せたことは、この作品が持っているとても大きな包容力のためである。この作品は家族の問題、社会構成員間の問題、学校での葛藤、自然と自然に対する人間の態度、歴史と歴史を発見しようとする人々との関係など、非常に哲学的で思弁的な話と共に、子供の目の視線から眺める宇宙の変わりない秩序と原則が、比較的易しい寓話で伝えられる。特に南十字星から息子に送るお父さんの歌は、この演劇が世代間の理解と愛、関心をどんな演劇的方法で見せてくれようとするのかを、よく説明してくれている。すなわち、社会と家庭で疎外された子供たちに、勇気と希望を与えようとするこの演劇のメッセージは、本当によく表現されていたということだ。第二次世界大戦以後、混乱していた日本、戦災の傷があまりにも深かった日本が、いまや世界で一番、富強した国の中の一つになった。このような歴史と現実の矛盾と相反した理解が、21世紀の日本人と韓国人全てに大きい共感を与えることができるのは、この作品の元がまさに人本主義の精神と科学的探究の方式、そして未知の世界に対する知的好奇心を子供たちによく見せてくれているからである。

私自身はこの公演を三度観た。その中で最後に東京で見た公演が一番印象的であり、原作の意図と演出のコンセプトが、明確に伝えられた公演であった。この作品の演出者は、この公演を「劇中劇」あるいは「演劇として見せるための物語」の枠で原作を解体し、その新しい組み合わせ方式で、俳優たちの身振りと空間的イメージを適切に使った。「東京演劇アンサンブル」の本拠地である「ブレヒトの芝居小屋」はそんなに大きい劇場ではなかったが、この作品が作られた裏には、スタッフの熱情と共に俳優たちの活躍度がとても大きい。特に“ジョバンニ”役を受け持った俳優は、知性と感性を適切に調和し、この作品の主題をよく表現したいた。